05/02/06「嘆きの天使」
本日の登場人物
くり改め せれんちゃん
お見合い後のくりちゃんは、なんだかとても機嫌がよかった。
残していくおじいさん、おばあさんのことは気がかりながら
それでもやっと月に帰れる嬉しさを隠しきれない かぐや姫さながら
「お世話になりました」と、礼儀正しく振る舞う一方、
旅立つ日をウキウキと指折り数えているようにさえ見えた。
連れ帰った日、ドアを開けて
どやどやと出迎えたわが家の一群を目にした時、
くりちゃんの顔から喜びがすっと消えたのを
私は確かに見た気がした。
賢いくりちゃんは、決して表には出さなかったけれど、
くりちゃんの失望を、私は痛いほど感じた。
夜、一緒に寝ようと抱っこして布団の中に入れても、
「いいえ私はここで。居候ですもの」と、やんわり拒んで、
足下の定位置で ちんまりと丸くなって眠っていた。
それがお見合いの前ぐらいから、
朝目覚めると、夜には足下で寝ていたはずのくりちゃんが
枕元に三つ指ついて、というふうにきちんと座り、
「おはようございます」と目をしばたたかせているのだった。
そしてついに、お見合い後の一週間、自分から顔を寄せて
すりすりと積極的に甘えてくるまでになった。
このまたとないチャンスを、私はまったくふいにしてしまった。
仕事でほとんどまともにベッドで寝ることがなかったから。
れ・みぜらぶる。
以下4枚は里親さんの撮影。最初からこの距離!
お気に入りの場所で。

せれんちゃん…。遠い昔から、あなたはこの美しい名前で呼ばれていたのでは?

器は織部(!)。
ますますご飯が美味しゅうございます。せれんちゃんはいつも品よくお食事。
くりちゃんの里親さんが、まだ里親さん候補だった時、
他の子よりも前に出てこようとはしない くりちゃんのほうに、
ずいと身を乗り出し、同じ目線になって
真剣なまなざしを注いでいたのが印象深い。
里親さんのお膝にべったりだったチビたちが遊びに気をとられ、
一瞬お膝が空いた隙を逃さず、
「わ・た・し・の・猫?」
慎重に思い定めるように、その問いは無言で発せられ、
「ん! わ・た・し・の・猫!」
答えが、すとんと腑に落ちたように、
くりちゃんと見つめ合った後やがて里親さんは微笑んだ。
一方、くりちゃんのほうも、じっと見ていた。
見ていないような振りをしながら、
実は里親さんのことを しっかりと意識していた。
おそらく同様の問いを発し、用心深くしかし確かな手応えで、
同じ答えを得たのだろう。
そして、くりちゃんは上機嫌になった。
いつまでも元気で…
お届けの二日前、くりちゃんの健康診断に
前日がお引っ越しだったにもかかわらず、
里親さんはご一緒してくださった。
朝、くりちゃんをキャリーに入れると、
「どうなるの?私どうなるの?」と、
取り乱したりはしない節度を保ちつつ、不安げに鳴いた。
こちらの最寄り駅でピックアップして、里親さんがキャリーの隣に座ると
安心したのか、少し静かになった。
里親さんも、くりちゃんが自分の顔を覚えていてくれたのが
とてもうれしそうだった。
「くりちゃんは大変賢い」と、そこでまた私は思った。
病院の待ち合い室で、くりちゃんはとても静かだった。
ユキの口内炎がひどくなって数日ご飯も食べられなくなり、
一緒に連れてきていたので、私の隣にユキ、
向かい側の席に里親さんとくりちゃんが並んで座った。
やわらかい光がいっぱいに射し込む待ち合い室で、
黒い毛並みを美しく輝かせながら、
くりちゃんはもうすっかり里親さんのお家の子の顔をして
キャリーの中で、ちんまりお行儀よく座っていた。
私はくりちゃんの賢さに舌を巻いた。
この子はもう、すべてわかっているのだと。
リードを丸ごと飲み込んだブリタニー・スパニエルの手術と
チワワの帝王切開と、ゴールデンの去勢と、
大きな手術が立て続けで前日は大変だったそうだが、
その日の朝はわりと空いていて、それも運がよかった。
血液検査の結果は、予想以上に数値がよくて、
まずはほっとした。
残念なことにすでに口内炎の徴候は見られたが、
キャリアでなくとも(たとえばユキやソニア)
年齢や環境などを原因として、
多くの子が抱える疾病のひとつでもあるのだから、
それほど悲観材料ではないと思うし、
里親さんは、ご自身「調べ魔」とおっしゃるほど研究熱心な方だ。
私などより、よほど丁寧にケアしてくださるだろう。
結膜にまだ炎症が少し残っているので目薬も出してもらう。
お疲れのところご足労頂いて申し訳なかったのだけれど、
今日の健康診断にご一緒して頂けて、本当に嬉しかった。
その後お昼ご飯を食べながら、私は何だかとても饒舌になって
長々とおしゃべりをしてしまった。
いろんなことをお話しして、とても楽しかった。
さっそく探検。素敵な新居に満足げなせれんちゃんです。

あっという間にお届け当日。
引っ越してわずか数日の里親さん宅は、完璧に片付けられていた!
すごい!!
そして、その完璧な配置のそこかしこが猫仕様になっていて、
なんだか胸がいっぱいになってしまった。
初めての猫との生活ということで、いろいろ勉強されたそうだ。
大きめの箱や家具でうまく段差がこしらえてあって、
わが家ではあまり高いところに登ろうとしなかった
くりちゃん改めせれんちゃんは、早速上のほうに興味を示していた。
(私たちが帰った後、その日のうちにかなり上まで制覇したらしい)
新居にぴったりの家具を静岡からお取り寄せされた際、
たんすの幅を尋ねられ、
「猫の落っこちない幅にしてください。登るので」
と答えられた由。 家具屋さんと二人して
「それって、どれくらいあればいいんですかねえ」と
しばし頭を悩ませたとか。
その甲斐あって、せれんちゃん、とても気に入っているようです。
そしてあつらえた素敵なテーブルの素材は、
なんと偶然にもくりの木だったのでした!
初めからこうなのです。うれしくてシッポびりびり。
里親さんもせれんちゃんも、きっとお互いに惹かれるものがあるのでしょうね。
お喋りしてるといつのまにか里親さんのもとに鎮座まします せれんちゃん。
せれんちゃんは一目見て、新居が気に入ったようだった。
最初から里親さんの家の子で、
しばらくわが家で預かっていたんだっけという錯覚に陥るほど、
せれんちゃんは、あっというまに寛いだ。
おいとまする時に振り返ると、
せれんちゃんは相変わらずとてもお行儀よく座って、
「またいらしてね」とすっかりここのお家の子の顔をしていた。
それは別れの寂しさをすっかり吹き飛ばしてしまうほど
幸せに満ちたものだった。
だから私もとても幸せな気分で「バイバイ」と言えた。
せれんちゃんが、くりちゃんという名でわが家にいた頃、
彼女は思い出したように鳴いた。
というより、それは深い嘆きそのものだった。
主に夜中、悲嘆にくれる梟のような、身も世もないといった、
体の奥底から絞り出される深く悲痛な声が突然、
かなりのボリュームで響き渡る。
びっくりして飛んで行くと、誰もいない暗い玄関で、
ドアの外に向かって、くりちゃんは声を限りに鳴いているのだった。
声をかけると、夢から覚めたようにゆっくりと振り返り、
少しバツが悪そうな顔をして、定位置の人間ベッドに戻っていく。
だから私は、里親募集を決して諦めるまいと心に決めたのだ。
家の子に、と何度も言いかけては思いとどまった。
キャリアだろうが成猫だろうが、関係ない。
望むならすぐにでも迎えたい。
賢さも、慎み深さも、少し距離をおく付き合い方も、
ああ見えて意外とお間抜けな失敗をするところもすべて、
愛おしくて仕方なかった。
でも。あの子は。
どう見ても幸せそうには見えなかった。わが家で。
それは私の至らなさのせいでもある。
だからこそ、本当に幸せになれる家を探すことは
私の責任であり、私にできる唯一のことだと思った。
途中決意が揺らぐことも多々あったけど、
結果はこれ以上望むべくもない、最高で最良のものとなった。
おめでとう、せれんちゃん。
ちょっと時間かかっちゃってごめんね。
あなたにはすべてわかっていたことかもしれないけれど、
たまきさんという最高のパートナーの心を射止めたあなたはやっぱり
すごい子だよ。
おめでとう。どうか末永く幸せに。
あなたの旅立ちに惜しみない拍手を贈ります。痛いほどの拍手を。


これはせれんちゃんのお嫁入り道具のひとつ。
わが家に来て、一カ月ほどたった頃、左下の歯がぽろりと抜けてしまった。
まだ見ぬ里親さんに渡そうと、大切にとっておいたのだ。
ワクチンの証明書などとともにお渡ししたとき、
自分はこんな人にこそ、これを渡したかったのだ、と改めて思った。
私は今、せれんちゃんのすべてをこの方に託した。
まるで小さなバトンのようであった。

その里親さんからの頂き物。
黒猫のお嬢さんが旅立ち、小さな小さな黒猫さんがわが家へ。
くりちゃんのような、まあるいくりくりお目々。
下の黒猫いっぱいのかわいい敷物とともに。
思いもかけない嬉しい贈り物だった。
そして最後にぜひ書いておかなければならないこと。
里親さんとの意外な共通項が落語だったのです!
帰りに「枝雀落語大全」の特典DVD「笑いとは何か?
『緊張の緩和』理論」などお借りして、
ほくほくなのでありました(笑)
たまきさん、本当にいろいろありがとうございました。
せれんちゃんのこと、どうかよろしくお願いします。
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