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少し前になってしまうが、「黒猫」さんからメールを頂き、トモロウを保護した時の様子を初めて詳しく伺った。私の知らないトモロウがそこにいて、なんだか少し、泣けてしまった。 いろんな人が道端で伸びているトモロウのことを気にかけてくださったということだ。倒れていたのは、大きな団地近くのスーパーで、日替わりの店を出すおじさんの縁台の前。そのおじさんから水をもらい、近くの花屋さんからは牛乳をもらい、買い物途中の奥さんによれば、その前は小学校にいて子どもたちに連れ回されていたという。あの馬鹿みたいに暑かった今年の夏を思い返すと、胸が詰まって仕方がなかった。 それでも、まわりの少しずつのやさしさが、トモロウの小さな命をつないでくれていた。会ったこともない人の善意のまなざしと、困惑の表情がおぼろげに浮かぶ。少なくとも倒れているトモロウは透明な存在ではなかったということだ。そのことを私はまず感謝したい。同時にそんな環境でも、抱き上げて連れ帰る人がいなかったことを思う。ことほどさように、それは勇気のいることだったのだ。 私はそれを思うと、怒りで体が震えてくる。その苦しみは、黒猫さんではなく、トモロウを捨てた人間が負うべきものだからだ。その人は、本来自分が背負うべき苦しみや責任を、トモロウと一緒に捨てたのだ。よりやさしい人、弱いものがそうした一切を押し付けられるのは、間違っている。 トモロウのページでは、筆不足で十分に触れることができなかったが、保健所の係の女性の方の存在も大きい。普通なら翌日にはセンターに送られているところだったが、いつもより長めに置いてもらえたのは、その方の配慮のおかげか、あるいは偶然だったのか(状態の悪い子猫は即刻処分されるところもあると聞く)。黒猫さんが引き取りに行った時には、朝からたっぷり遊んでもらえて、ご機嫌なトモロウだった。その方も目の悪い子猫を保護された経験があるそうだ。お名前も存じ上げないが、いつの日か、トモロウと一緒にお礼に伺えたらと思っている。 保健所が悪いのではない。実際、係の方たちの中には、自宅で複数の犬猫を飼っている方が多いと聞く。皆、処分で持ちこまれた動物たちだ。連れていけば後はやってもらえるという、安易な飼い主は後を絶たない。けれど、その人たちは実際、どのように動物たちが死んでいくのか、よく知らない場合が多いのではないかと思う。収集場所に出したゴミが、回収された後、どうなるのか私達がほとんど知らないように。 これはささやかな事例に過ぎないけれど、あまりに深いものを含んでいて、たったこれだけ書くのに、ずいぶん時間がかかってしまったし、まだ十分に書き切れてはいないのだろう。満足とは程遠いが、伝えたいという気持ちのほうが大きくなってしまったので、今日は急いでupしてしまおう。後でこちょこちょ直したりするかもしれませんが。 |