人だすけ・猫の地域貢献的役割

高齢化や核家族化の進行、社会やライフ・スタイルの変容などに伴い、地域社会のコミュニケーションや結びつきや連帯意識の希薄化が問題視される様になりました。
地域社会での、高齢者の孤独な餓死や病死、幼児虐待などの最悪なニュースも、度々見かける様になりました。
温かみある地域づくりの一環として、ボランティア活動などを通しての地域社会への積極的参加なども注目される様になりました。

しかし、地域社会における、人と人のコミュニケーションや結びつきや連帯意識などは、本来ならば、自然発生的に生まれるものではないだろうか?または、本来ならば、それが一番の理想ではないだろうか?
助け合いや支え合う、心のゆとりや心の温かさなども、意識をしたり、無理に作り出したりする様な性質のものでも、ない様な気がしてなりません・・・。

地域社会には、猫に起因するトラブルがあるだけではありません。
私が猫関連の活動をする様になって、地域社会には、猫の存在がもたらす「人助け」的な地域貢献的役割もある事を知りました。猫の円滑油としての存在意義が、確かにそこにあり、それらを私は、度々見聞きもしてきました。
ここでは、それらの記憶を辿りつつ、限られた時間の中でご紹介をしていけたらと思っています。



人命救助に貢献した(家なし、ノラ、)猫たちの存在

平成13年の某日夜、中山さん(仮名)は、衰弱死する寸前で救われました。
私とうちの者が、発見しなければ、そして、「このまま死にたい。」と生きる事に絶望をし嫌がる中山さんを説得して、無理矢理救急車に乗せなければ、今の幸せな中山さんは存在しませんでした。
その中山さんと、私たちを結び付けてくれたのは、他でもない、私が外で面倒を見ている(家なし、ノラ)猫たちでした。

中山さんは、60歳代の1人暮らしの男性です。身内は、娘さん1人ですが、既に10数年来の音信不通状態で、頼れる人はいません。
体に大病を患い仕事が出来ず、家賃も数か月分を滞納した状態でした。
お金が底を付けば、生きていく為に、体に鞭を打って日雇いの大工仕事をし、僅かばかりに入ってくるお金を、唯一の楽しみである酒とたばこに、殆どを費やすという様な生活をしていました。
満足な食事をしなかったのは、生きる意欲が失われていた為と、体が食べものを受け付けない程に、衰弱していた為でもありました。

私が、はじめて中山さんの存在を知ったのは、中山さんが猫たちを可愛がっている姿を見かけたからでした。
猫たちと一緒にいる時間が、中山さんにとっての、心休まる時間だった様でした。
「この子、名前何て言うの?」 「○○ちゃんは、昨日はあーだったよ。今日はこーだったよ。」・・・
中山さんは、猫たちと遊びながら、猫たちの姿を見ながら、私と猫たちの話題を日々していく中で、何時の間にか、自分の身の上話や実情も、徐々に聞かせてくれる様になりました。

私とうちの者は、中山さんに度々、食べ物のおすそ分けを持っていく様になりました。
近所の方にも話をすると、近所の方たちからも、中山さんにおすそ分けをする様になりました。
生きる意欲を失いつつあった中山さんを元気付けようと、特にうちの者が時間を見つけては、中山さんの話を聞く様になりました。
病気治療をしたくても、お金の無い中山さんは病院に進んで行こうとしない為、生活保護申請を含めた様々なアドバイスもしました。
しかし、中山さんは、度重なる申請却下で、将来に対しては益々悲観的になっていく一方でした。
心配したうちの者は、毎日の仕事帰りに、必ず真っ先に中山さんの様子を見に尋ねていく様にもなりました。

そんなある日、猫たちと遊ぶ中山さんの姿がありません。
中山さんが猫たちと遊ばないなんて・・・、おかしい。
不安を感じた私は、近所の方と共に、中山さんの家を尋ねましたが、応答がありません。
そして、帰宅したうちの者と再度尋ねた時、横たわったまま起き上がれず、高度の熱と手足が痙攣状態にあった中山さんを発見しました。

私たちは、すぐに救急車を呼び、病院へいく説得をはじめました。
しかし、救急隊員が到着しても、中山さんは「このまま死なせてくれ、病院に行ってもお金が払えない。」と拒否を続けました。
心配した近所の方たちも、どうしたの?と外に出てきました・・・。
本人の同意が無ければ、救急隊員は強制的に救急車に乗せる事が出来ません。
結局、私たちが中山さんの意思を無視して、強引に救急車に乗せて貰う様、救急隊員にお願いをしました。

中山さんは、もう少し遅れていれば、命が助からない状態でした。
1ヶ月以上に渡る入院のお陰で、体力が付き、また、近所の方の口添えもあって、入院中に生活保護の申請も認められました。
今、中山さんは生活の心配がなくなり、また、安静に体の治療にも徹する事が出来る様になった為、生きる希望を取り戻しました。

私が外で面倒をみている猫たちの存在が無ければ、中山さんの存在を知る事も、今日の元気で生きている中山さんの存在も、ありませんでした。
中山さんという1人の人間が、「死」という最悪な事態になっても、誰にも気付かれないまま、長期間放置されていた可能性すらありました。

中山さんと私たちや地域住民との、知り合うキッカケを提供し、話をする話題を提供し、コミュニケーションを芽生させ、助け合いや支え合いの心を思い出させてくれたのは、地域社会に生きる猫たちの存在があったからに他なりません。
人命救助に貢献した(家なし、ノラ)猫たちには、「人助け」的な地域貢献的役割もあるのだと、私には強く感じる事例となりました。

猫に関する苦情 西東京市4、一戸建住宅街

猫が起因するトラブルの事例ですが、注目をして頂きたい事は、猫の飼い主である兄妹と地域住民や地域社会との関係です。
皮肉な事ですが、猫の存在がなければ、苦情が発生する事が無かった代わりに、兄妹と地域住民や地域社会との、接点も何も無い状態に置かれていました・・・。

西東京市2、重い半身麻痺の障害を持った、ある主婦のご家庭

一見すると、奥さんの症状の悪化には、猫たちが大いに関係しますが、しかし、本質的な問題は、猫には無いのではないか?
猫たちの存在を通して、ご主人が原因で奥さんの症状が悪化し、そして、猫たちの存在を通して、奥さんの症状が少し改善する様にもなった、そう私には感じられた事例でした。


お父様のリハビリにもなった猫たちの存在

以前、某市の社会福祉協議会からの帰り道、猫に餌をあげているある中年の女性と話をする機会があり、その女性のお父様の話を聞きました。
彼女のお父様は、脳梗塞で倒れて以来、寝たきりの状態になってしまい、自分では起き上がる事も動く事も、物を持つ事さえも、一切出来なくなってしまったそうです。
そのお父様にとって、昼間の誰もいない時間帯に、庭先に現れる猫たちだけが
いつの間にか慰めの存在になっていたそうです。
やがて、お父様の希望で、家族が猫たちに餌を与える様にもなったそうです。

しかし、家族が帰宅するまで、腹を空かせて待っている猫たちが可哀相。そう考えたお父様は、自分で餌をあげよう、と思う様になったそうです。
猫たちに餌をあげたい、その一念だけで、体の動かなかったお父様が、やはては自分で物を持ち、動ける様にもなり、移動も出来る様になったのだそうです。
時間は、勿論かかりましたが、缶詰を自分で開け、這って窓際まで行って餌をあげていた状態から、足を少しずつ動かして、歩いて窓際まで行ける様にもなったんだそうです。

「猫のお陰で、父のリハビリも出来たし、状態も随分と回復しました。だから、猫への恩返しとして、毎日餌をあげているんです。・・・」
そう話した女性の言葉は、私には大変衝撃的で、そして温かい気持ちになった嬉しい内容でした。


保谷・都営・一戸建て

苦情者(人と猫との共生を中心となって取り組んだJさん)の話し

「猫のことをする前は,話した事の無い住民が殆どだったが、活動を始めてから、住民たちのみんなと話しをする事が出来たり、知り合いも増えた。
今まで大嫌いだった人が、実は良い人だとも分かった。
猫の活動は、本当に地域に貢献する活動だと実感した。本当に、やって良かった。